河原城風土資産研究会
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河原城の歴史

鳥取市にある“3つの丸山城”

鳥取市には鳥取市河原町、鳥取市丸山町、鳥取市六反田(鳥取市吉岡温泉の近く)に丸山城と言われているお城が3つあります。

■鳥取市河原町の丸山城 

谷一木丸山の城は、天秤山(てんびょうざん:お城山)の丸山城のことで、山上は、三段に切り成らし、上段が20間(36.4㎡)、次の段が40間(72.4㎡)、下の段が60間(109.2㎡)ばかりある。口碑(古くからの言い伝え)によれば、豊臣秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃、近郷弓河内の北村六左衛門の家に一夜陣営されて後、羽柴筑前守となられて御下向の時、この山に陣を張り、鳥取御凱陣の時の本陣の跡であろうとも言われている。お城山の展望台の建設に先立ち、平成3年10月から約8カ月をかけて全面発掘調査が行われました。その結果、堀切、柱穴、廓など多くの遺構が発見され、中世山城の跡だったことが確認されています。

鳥取市丸山町の丸山城

鳥取市丸山に存在した城郭で、久松山の北西に位置する標高80m程の独立丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の羽柴秀吉の鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。頂部には土塁を巡らした主郭が置かれている。主郭の南西部にも曲輪群が存在する。山麓には河川が流れており、天然の堅固な要害であった。

天正9年(1581年)吉川経家によって築城されたという説と、天正年間の初めとする説も存在する。山麓を流れる河川を利用した物資運搬がなされ、毛利方の重要な武器弾薬・食料の補給基地として重要視された。秀吉の鳥取城攻めの際には奈佐日本之介らが城将として入城し、兵糧攻めが行われている最中も絶えず物資補給を行ったが、補給路の中間地点にある雁金城が宮部継潤によって落城させられ、完全に鳥取城との連絡を絶たれた。天正9年10月、吉川経家が鳥取開城を申し入れ、10月24日、丸山城も遂に開城を余儀なくされた。城を守った奈佐・塩冶・佐々木氏は秀吉の命により、周辺を荒らした海賊・山賊という罪によって自刃させられた。

鳥取市六反田の丸山城

鳥取市六反田集落の背後にある標高44mほどの独立した丘陵上に存在した城郭。現在では山林となっている。築城年代は不明、室町時代末期に吉岡春斎入道が築城したと伝えられている。因幡吉岡氏の初期の本拠地とされるが、小城で十分な防御が期待できないことを憂えた吉岡氏は、吉岡温泉の東に蓑上城(みのがみじょう)を築城、天正年間の初めに本拠地を移転したが、天正6年防巳尾城(つづらおじょう)に移ったと言われている。

                            【出典・引用:河原町誌 鳥取市の城郭】  

3つの丸山城。それぞれに歴史があり人々の生きた物語がありました。これらの小さな城は、これまで歴史の中に忘れ去られたかのようにひっそりと佇んでいましたが、近年の戦国・お城ブームによりお城好きの人が訪れる機会も増えました。城跡たちもきっと喜んでいることとおもいます。みなさんのお住まいの地域にも「あっ」と驚く歴史を抱いたお城がきっとあるはずです。連休最後の週末に「わが町・歴史探訪の旅」いかがですか!?

(毎週金曜更新・全5回)