河原城風土資産研究会
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河原城の歴史

あの秀吉も陣を築いた“お城山”

「お城山展望台 河原城」のあるお城山には、かつて丸山城と呼ばれていた戦国時代の出城砦 (でじろとりで) がありました。
中世 (南北朝時代以降) の因幡地方 (現在の鳥取県東部) は足利尊氏 (北朝) に従い幕府重臣にまで取り立てられた山名時氏が因幡、伯耆の両国と丹波、丹後、美作の守護職を任ぜられ支配していました。

戦国時代になると子孫・山名豊国が守護となり、その重臣・武田高信 (たけだ たかのぶ) が護る大振袖山城 (おおふりそでやまじょう) の出城砦 (でじろとりで) が丸山城でした。
天正5年、織田信長に中国攻めを命じられた羽柴秀吉 (豊臣秀吉) は天正8年 (1580年) 因幡の国を攻略する (鳥取城攻め) 際、このお城山に陣を張り鳥取城に出陣したと伝えられます。文政元年 (1818年) に調査が行われた「因伯古城跡図志」によれば、山上は、三段に切り成らされ、上段が20間 (36.4㎡) 、中段が40間 (72.4㎡) 、下段が60間 (109.2㎡) の陣跡が確認されています。
また、お城山の展望台の建設に先立ち、平成3年10月から約8カ月をかけて全面発掘調査が行われました。その結果、堀切、柱穴、廓など多くの遺構が発見され、中世山城の跡だったことが確認されています。
確かに河原城から遥か遠くに鳥取城のある久松山を遠望でき、陣を置くにはふさわしい場所であったのでしょう。

天守閣にのぼり何百年も昔の出来事に想いをはせ、ぐるり360度見渡して見ると一瞬の間タイムスリップしたような不思議体験ができるかも・・・です。

(毎週金曜更新・全5回)