その六【八上比売の謎vol.1「八上比売の生誕地はここだった!!!…………かもしれない」篇vol.1】
2012年5月12日
みなさん こんにちはー!!春たけなわ❀というか初夏に近い陽ざしの今日この頃ですね~。
「ふることふみ(古事記)の倭(やまと)ごころ」6回目の今日は河原町のマドンナ“八上比売(やかみひめ)”さんについて何回かに分けてお話ししますね。
その参で「古事記は、大和朝廷(やまとちょうてい)の正当性と皇室の歴史を後世に伝えるために作られたものなので、都合の悪い部分や、書かなくてもいい部分、書く必要のない部分についてはカットされています。
八上比売と大国主命(おおくにぬしのみこと)のくだりの詳細がカットされているのは、都合が悪かったのか、必要のない部分だったのかは解明されていませんが、それぞれの地域に残る多くの神話伝説をみると、須勢理毘売(すせりびめ)を怖れて泣く泣く因幡(いなば)に帰った悲恋のか弱いお姫様とは違って、自分の意思を持ち、はっきりと主張できる自立した女性としての八上比売像が浮かんできます。」と書きました。八上比売さんって いったいどんなお姫様だったんでしょう!?
八上比売さんは謎めいた女神さまで、神と言われたり巫女と言われたり、ラブストーリーのヒロインながら勇猛果敢に戦場に赴いたり鬼退治をしたりと本当に多面性を持った方だったようです。
河原町は八上比売さんのふるさとと言いますが、厳密にいえば八上比売さんをお祀りする賣沼神社(めぬま)と墓といわれる嶽古墳(だけこふん)があり、それが裏付けとなっている部分が大きいと思います。
ここ近年、「因幡のしろウサギ」を研究する学者さんや郷土史研究家の方が増えて少しづつ市民権を得ていますが「八上比売」に関しては過去も現在も調査が進んでいない状況なんです。でもでも、それじゃあチョット寂しいじゃないですか~。謎めいたままのほうが夢があっていいよ、と言う声もあるでしょうが、自称「八上比売ファンクラブ」会員番号№1の私としては駆け出し郷土史研究家として調査活動しています。
鳥取藩医師で郷土史家の安部恭庵(あべきょうあん)が著書の「因幡誌(いなばし)」には次のようにあります。
「…八上姫の旧居は今の智頭郡用瀬(ちずごおりもちがせ)宮原といふ村なり。上古此処に八上ひめ住玉ふなり。其の親の名は安蔵長者(あぞうちょうじゃ)といふとあり。……分かれて今曳田(ひけた)ノ郷に鳥越といふ農家は其末なりといふ。……」
また、大日本地名辞書の宮原の条に「宇部神社の明記に、八上姫は宮原に住みたまひ、其親の名は安蔵の長者と云えり。」とあり、因伯年表には「簗瀬山(やなせやま)の嶽古墳は姫の墓だが旧家は宮原だ。」とあります。
八上比売さんはその名の通り「八上郡(やかみごおり)」の生まれですが、古代の八上郡っていったいどの辺だったんでしょう??
『和名抄(わみょうしょう」)』によれば八上郡とは律令制度の古代因幡國(701年以降)の郡名で若桜(わかさ)、丹比(たじひ)、刑部(おさかべ)、亘理(わたり)、日部(くさかべ)、私部(きさいべ・きさいちべ)、土師(はじ)、大江(おえ)、散岐(さぬき)、佐井、石田、曳田(ひけた)の12郷が記されており、因幡国内で最大規模の郡でした。
ここでチョット気がついた方もいらっしゃるかもですが、用瀬村の名前がありません。用瀬村はその当時は智頭郡(ちずごおり)に含まれていたのです。でもでも「因幡誌」「大日本地名辞書」「因伯年表」には生まれたのは用瀬って書いてますよね!?
実は先出の「大日本地名辞書」にはこんな記録もあります。「当社(賣沼神社)は八上姫の産誕したまへる地とぞ」とあり、「因幡誌」「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」には「当社(賣沼神社)は八上姫の霊神也。……八上姫の出生の地なるを以って祭祀すと。」とあり、「因伯大年表」には「八上姫ノ大神出生ノ地為ルヲ以ッテ住在鎮座」とあります。……で、結局はどっちが本当なの!!!
にわかには信じがたいことですが、同じ文献にまったく異なる内容の記述があるという事実です。早い話が、古代因幡の歴史はこれをはじめ、解明されていないことがテンコ盛りだということなんですよね~。しかも資料もチョ―少ない( ̄∀ ̄;)
でもですよ、八上比売が存在したのは八上郡だということはほぼ間違いのないことなので、歴史の文献はともかく古代の郡制からみると用瀬の宮原説は違うんじゃないかなぁ~と、駆け出し郷土史研究家は思うのでした。
じゃあ いったい 何処なんだー?? と言うことで、次回は駆け出し郷土史研究家の調査報告「八上比売の生誕地はここだった!!! ………かもしれない」篇をおおくりします。
それでは次回まで ごきげんよう(*≧▽≦*)ノシシ(おっちー)
その伍【邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)】
2012年4月18日
前回のつづきからです。
― 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと:以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」) と木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ) ―
邇邇芸命(ににぎのみこと)一行は筑紫(つくし:現在の九州)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の霊峰に天降り国見をしました。「朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照(ひで)る国」(この地は朝鮮半島に対峙し笠沙(かささ)の御崎にもまっすぐ通じ、朝日も夕日も明るく照り映えるまことによい土地だ)と仰せられ、この地に壮大な宮殿を建てました。
ある日、邇邇芸命が笠沙の岬にお出ましになったとき、花のように美しい乙女と出逢います。邇邇芸命は一目惚れをしその場でプロポーズしました♡♡♡ この乙女こそ後に妻となる木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)です。
木花之佐久夜毘売は父親の大山津見神(おおやまつみのかみ:山の神)に許しを得ないと返事できないと答え、邇邇芸命は遣いを出します。大山津見神は結婚の申し込みを たいそう喜んで、姉妹で嫁がせようと姉の石長比売(いわながひめ)までも差し出しました。しかし、邇邇芸命は美しい木花之佐久夜毘売だけ妻にし、石長比売(いわながひめ)はお返しになりました。(残念なことに石長比売はかなりの“おブスちゃん”だったようです。ゴメンナサイ!) そこで、大山津見神は「石長比売は岩のように永遠に変わらない命と、木花之佐久夜毘売は花が咲き栄えるような繁栄を願ってのものだったが、石長比売を返した今、天つ神の御子の命は桜が散るように、はかないものになりました」と申したのです!(T―T)
天つ神の邇邇芸命が容姿で妻を決めるあたりが、とても人間くさくて、また、このエピソードから人の寿命が決まったのかと思うと、天降った天孫・邇邇芸命はもうすでに人としての歴史を歩んでいたのかもしれないなと思うのです。
そして、この話を知ったとき、この歌を思い出しました。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」大好きな歌の一つです。歌の内容は寿命の話とは全然違うんですが、なぜか思い出しました。
邇邇芸命と木花之佐久夜毘売のエピソードは、儚い命だからこそ、人は自分の人生を精一杯、咲き誇る桜のように強く美しく生きなければいけないと教えているのかもしれませんね(*U_U*) (おっちー)
その四【天孫降臨(てんそんこうりん)】
2012年4月17日
先週の月・火曜日と暖かい日が続き、お城のしだれ桜❀も町内のソメイヨシノ❀も一夜にして満開に咲きそろいました❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀
もう少しゆっくり咲いてくれればいいのに。。。。もう散り始めています。お城のしだれ桜❀はまだ今週いっぱいくらいは大丈夫そうですよ~。
今回は、前回の八上比売さんに続いて❀桜❀つながりで「木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)」のお話をします。八上比売さんと同じくらい私が大好きな女神さまです。
木花之佐久夜毘売は天孫降臨(てんそんこうりん)の主人公・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと:以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」)と舌を噛みそうな長~~いお名前の天孫=いわゆる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫御子様の奥さんです。
お二人の出逢いの話をする前に、天孫降臨(てんそんこうりん)の話を簡単にしておきますね。前回の「大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上比売(やかみひめ)」の国造りの後に続くお話しなんですよ。
大国主命が国造りを終え、豊かな国となった豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに=葦原中国ともいう)を天上界から見ていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、元は天降(あまくだ)った天つ神が造った国だから天上界に返してもらい、天つ神が統治するのがよいと使者を出した。
しかし、最初の使者も二番目も復命(ふくめい)せず、とうとう最後は武力をもって、第三の使者、建御雷之男神(たけみかづちのおかみ)がやってきた。伊耶佐(いざさ)の浜(今の稲佐の浜)に降り立った建御雷之男神は十束剣(とつかのつるぎ)を浪に刺し、その上に坐(ざ)して大国主命に葦原中国(あしはらなかつくに)を天上界に返すように迫りました。
大国主命は返答を息子の事代主命(ことしろぬしのみこと)に委ね、事代主命は了承したが、もう一人の息子・建御名方命(たけみなかたのみこと)は反対しました。建御雷之男神と力競べの勝負をして負けた建御名方命(たけみなかたのみこと)は国譲りを了承し、二人の息子の返答を聞いた大国主命は神殿(出雲大社[いずもおおやしろ])を造ってくれることを条件に国譲りを承諾しました。
天照大御神は最初は息子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと)を遣わそうとしましたが、天忍穂耳命は生まれたばかりの息子が統治者としてふさわしいと天照大御神に提案した。こんな訳で孫の、つまり天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が天降ることになりました。
邇邇芸命には天児屋命(あめのこやねのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、祝詞[のりと]を唱え鏡を差し出した神。中臣氏[なかとみうじ:古代に神事・祭祀をつかさどった神]の祖神)、布刃玉命(ふとだまのみこと:高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の子。天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、天児屋命(おめのこやねのみこと)とその出現を祈請した。忌部[いんべし:祭祀をつかさどった一族]の祖先神)、天宇受賣命(あめのうずめのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、八百万(やほよろず)の神々の前で踊り天照大御神を誘い出した女神。天孫降臨の際、天の八衢(やちまた)にいた猿田彦神(さるたひこのかみ)に道案内をさせた。猿女[さるめ:古代の祭りで巫女の役をした]の祖神)、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、鏡を作った神。鏡作部[朝廷や豪族に属し鏡を製作した人々]の祖神)、玉祖命(たまのおやのみこと:玉造連[たまつくりのむらじ]勾玉[まがたま]や管玉[くだたま]をつくる人々の祖神。天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、三種の神器[さんしゅじんぎ]※1 の1つ、八尺瓊勾玉[やさかにのまがたま]を作った神様と言われています)の五伴緒(いつともお)を従えて天降りをします。
※1…三種(さんしゅ)の神器(じんぎ) …天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授けられたという草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺(やさかに)の勾玉(まがたま)をさす。
この後、地上に降り立った邇邇芸命は木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)と出逢います。 ― つづく ― (おっちー)
その参【稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―】
2012年4月1日
さあ今日から4月です。長かった今年の冬も終わり、春の訪れを感じる季節なんですが、桜の花はまだまだのようです。お城山展望台河原城が聳える、ここ鳥取市河原町は神話「八上姫(やかみひめ)」の里として知られています。全国的にはあまりメジャーではないこの「八上姫」さんは、古事記の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)と結婚するヒロインとして登場するお姫様です。そして「八上姫」さんを御祭神としてお祀りする「売沼神社(めぬまじんじゃ)」の御神紋が「桜」なんですよ。
―ふることふみ(古事記)の倭ごころ― 最初のお話はやっぱり「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―」で始めたいと思います。
みなさんがよくご存知の「因幡の白兎」は大穴牟遅命(おおなむちのみこと)[大国主命の別名]が出雲の八十神(やそがみ)たちのお供で八上比売(やかみひめ)に求婚に行く途中の出来事です。古事記では「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)」と表記されています。「素兎(すうさぎ)」を「しろうさぎ」と読んだかどうかは研究者の間でも説の分かれるところですが、当時の日本の兎は野うさぎなどのように主に茶毛の在来種で、白い兎は明治以降に輸入された外来種のうさぎです。「素(す)」というのは「白(しろ)」ではなく、童謡にもあるように ♪皮をはがれて赤裸(あかはだか)~♪ と、素っ裸の「素(す)」だったかもしれませんね。
洪水で淤岐の島に流された兎は故郷の稲羽に戻りたくて、和邇(ワニ=サメ)を騙して数を数えながら背中をピョンピョン渡り、あと少しというところで嘘がばれてしまいます。怒ったワニに皮を剥がされて苦しんでいると、そこに通りかかった意地悪な八十神(やそがみ)たちは嘘の治療法を教えます。ますます傷がひどくなり痛くて痛くて泣いていると、遅れて来た大穴牟遅命に助けられ元どおりの身体になりました。たいそう喜んだ兎は、大穴牟遅命と八上比売の結婚を予言してどこかえ消えてしまいました。このことから白兎(はくと)神社や八上比売を祀る売沼神社は、縁結び神社として現在、若い世代を中心に注目を集めています。
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白兎神社 |
売沼神社 |
八上比売と結ばれた大穴牟遅命は、しばらくの間、稲羽の八上郡(やかみごおり)で幸福な日々を過ごします。河原町内とその周辺には二人が仲睦まじく過ごしたゆかりの地が伝わります。
・円通寺(えんつうじ)(縁通路(えんつうじ))…二人の心が通じ合い、縁が通じたことが由来。 ・長尾鼻(ながおばな)、待合谷(まちあいだに)、飯盛山(いいもりやま)…二人のデートスポット。 ・倭文(しとり)神社…大穴牟遅命が恋文を書いた場所。
しかし、八十神たちは二人の仲を妬み、大穴牟遅命を恨んで迫害を強めます。二人が逃げ込んだと伝わる高尾山、河原町本鹿(ほんが)のその場所には、後に多加牟久(たかむく)神社が建立され、二人が祀られています。そして逃げる途中、駆け上がった坂道には「懸上(かけあが)り」の地名が残ります。(河原町中井)
八上比売より一足先に出雲へ向かった大穴牟遅命は、なおも八十神たちに狙われ殺されてしまいます。母神(刺国若比売(さしくにわかひめ))は天上界に助けを求め、蚶貝比姫(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)により生き返りますが、またも殺害されます。今度も母神の助けで復活しますが、このままでは本当に殺されてしまうと、母神は根の堅州国(ねかたすくに)[黄泉(よみ)の国]へ逃がします。
大穴牟遅命が逃げ込んだ根の堅州国は、あの建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が支配していました。その娘、須勢理毘売(すせりびめ)と出会った大穴牟遅命はまたも恋仲になってしまったのです。(八上比売がいるのになんて浮気者なんでしょう!)二人を認めない父は、大穴牟遅命に試練を与えます。須勢理毘売の助けで、全ての試練をクリアした大穴牟遅命は、建速須佐之男命の信頼を得ます。そしてある日、油断して眠り込んだ建速須佐之男命の隙を突いて、須勢理毘売と共に宝器の生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(あまぬりごと)をたずさえて、根の堅州国を脱出するのです。駆け落ちってやつですね。(ていうか、八上比売がいるのに!!) そして大穴牟遅命から大国主命となり、生太刀・生弓矢を持って八十神たちを退治し出雲の国造りが始まるのです。
大国主命がそんな酷い目にあっていることなど何も知らない八上比売は(やっと出てきた♪)、二人の間に授かった御子(みこ)と三人で早く暮らせる日がくることを願い、大国主命の便りを待っていました。八十神たちを退治し、国造りを始めた大国主命は、八上比売たちを出雲へ呼びよせますが、嫉妬深い須勢理毘売を怖れて、八上比売は生まれた御子(木俣神(きまたのかみ)=御井神(みいのかみ))を木の股に挟んで因幡に帰ってしまいます。古事記にはこう記述されていますが、実は、出雲市の斐川町(ひかわちょう)や米子市、鳥取市河原町など、それぞれの地元には古事記とは違う神話が伝わります。
八上比売とその御子は、出雲の地で大国主命の国造りを手伝い、その地で幸せに暮らした、または、しばらくして因幡に帰り、因幡の地でも八上比売は霊力をもって、一族で国造りをし八上郡(やかみごおり)を統治した、などなどです。
もともと古事記は、大和朝廷(やまとちょうてい)の正当性と皇室の歴史を後世に伝えるために作られたものなので、都合の悪い部分や、書かなくてもいい部分、書く必要のない部分についてはカットされています。八上比売と大国主命のくだりの詳細がカットされているのは、都合が悪かったのか、必要のない部分だったのかは解明されていませんが、それぞれの地域に残る多くの神話伝説や、古事記の中に見られる、自分から八十神たちの求婚を断り大穴牟遅命を選んだり、はるばる出雲の地まで旅したりと、当時では珍しい自分の意思を持ちはっきりと主張できる自立した女性としての八上比売像が浮かんできます。須勢理毘売を怖れて泣く泣く因幡に帰った悲恋(ひれん)のか弱いお姫様とは考えにくく、あえてそのような表現で記述されていると感じます。
まあ これも地元のひいき目かもしれませんが…
それはさておき、美しく賢くしかも強い女性として伝説が残る八上比売さんのDNAを受け継ぐ(?)河原町民は、これからも河原町の自慢のお姫様として子供たちに語り継ぎ、故郷を愛する心も一緒に受け継いでほしいなぁ~と思う “おっちー”なのでした。 (おっちー)
「古事記」と言うと「日本書紀」と並んで“記紀”と呼ばれる日本の最古の歴史書だということは みなさんよくご存じだと思いますが、なんだかチョット敷居が高い気がしますよね~。 なにを隠そう、うちのスタッフたちも難解にして摩訶不思議な“古事記ワールド”に悩ましい日々を送っています。(笑)「実は私もそうなんですっっ!!」とおっしゃる みなさんに、耳より情報です。今とっても解りやすくて面白い解説本がたくさん出ているんですよ♪ ビギナーズの方にチョットだけご紹介しますね。(と言いつつ、このところ忙殺されているワタクシは最近の解説本は持っていませんが…)
まず、御紹介したいのは角川文庫のビギナーズ・クラシックス日本の古典「古事記」です。この本は書き下し文・現代語訳・解説・写真やイラストでの説明と初心者でも抵抗感なく入っていけるような工夫がありがたいですね。また、目次はそれぞれのエピソードごとにキャッチーなタイトルがつけられていて、思わず読んでみたくなりますよ♪ ただ、古事記全文は掲載されてはいませんので あしからず。
次は講談社学術文庫から出ている次田真幸(つぎた まさき)氏著「古事記」(上)(中)(下)です。これは初心者から上級者まで幅広く読まれている正統派の古事記本だと思います。やはり、書き下し文・現代語訳・解説・イラストや図表での説明で全文を丁寧に解説しています。
次に紹介したいのは文春文庫からの三浦佑之(みうら すけゆき)氏著の「口語訳 古事記 神代篇」、「口語訳 古事記 人代篇」、「古事記講義」です。「口語訳 古事記 神代篇・人代篇」は数年前に出版され、とても話題になったのでご存じの方も多いと思いますが、語り部のような翁が話し言葉で古事記を読み聞かせているかのようで、ほのぼのとした雰囲気が癒されますよ~(*U_U*) 「古事記講義」は専門的に掘り下げて解説したもので初心者にはチョット難しいかもですね。
次は青春出版から出ている瀧音能之(たきおと よしゆき)氏著の「古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎」です。「記紀」と称される日本の2大歴史書を総合的な観点から比較検証しながら、それぞれの魅力を謎解きをしながら読み解いていく興味深い1冊です。瀧音能之氏は古代史、中でも風土記や地域史などの資料から出雲や神話の研究者として多数の著書があり、上記の他に「伊勢神宮と出雲大社」、「流れがどんどん頭に入る・一気読み!日本史」、「出雲からたどる古代日本史の謎」など、古代史に興味のある方には是非お勧めしたいものばかりです!
最後に、これも「記紀」の比較解説本ですが青春出版の坂本勝(さまもと まさる)氏監修「地図とあらすじでわかる・古事記と日本書紀」です。みんながよく知る神話のヒーロー・ヒロインから、みんなに知ってほしい知られざる神話のお話をイラストや図表・写真などで解りやすく解説しています。
さあ、みなさんはどれから読んでみますか!? 古事記編纂1300年のこの機会に日本人の心のルーツを探す旅にご一緒してみませんか!? (おっちー)