みなさん、お久しぶりです!こんにちはー!!。今年も残すところあとわずかとなりました。いや~今年はホンッとに忙しかったです。イベントてんこ盛りで若干記憶のない月もあったりして……。でも、ここで「ホッ」と、気を抜いちゃいけません(キリッ)年末までどんどんアップしていきますよーっ!!(≧∀≦)
さて神話の神々vol.5は誓約(うけい)生みの話です。
弟・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が攻めて来たと思った天照大御神(あまてらすおおみかみ)は武装して迎え討つことにしました。須佐之男命は誤解を解こうと誓約(うけい)を提案します。誓約というのは、古代の占いの一種で、占いの結果を先に予想し、予想が当たればその人や物・事柄・現象などが正しいとしたものです。天の安河(あめのやすかわ)を挟んで対峙した二人は、それぞれの誓約で神生みを始めました。
まず天照大御神が須佐之男命の十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕いて生まれたのが、多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たきつひめのみこと)。この三柱は宗像三神といい古代、北九州を本拠地として、日本海・瀬戸内海・朝鮮半島との海上交通で活躍していた海人系豪族・宗像氏が祀った神で、現在では海の神・航海の神として信仰され、宗像大社(沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称。日本全国に七千以上ある宗像神社、厳島神社、宗像三神を祀る神社の総本社で、全国の弁天さんの総本宮ともいえる)のほか各地の宗像神社・厳島神社・八王子社・天真名井社で祀られている。
そして、須佐之男命が天照大御神の左の角髪(みずら:髪全体を中央で二つに分け、耳の横でそれぞれ括って輪にするか、輪の中心に余った髪を巻きつけて8の字型に作る髪型)の勾玉を噛み砕いて生まれたのが、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさまつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、右からは天之菩卑能命(天穂日命:あめのほひのみこと)、御鬘(みかずら:髪飾り)の珠を噛み砕いて天津日子根(あまつひこねのみこと)が、左の手に巻いた珠を噛み砕いて生まれたのが活津日子根命(いくつひこねのみこと)、右手の珠からは熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)が生まれました。
ここで間違えやすいのは、誰が誰の生んだ御子か?と、いうこと。考え方は、女御子三柱は天照大御神が生みましたが、須佐之男命の身につけているものから生まれた(物実:ものざね)ので須佐之男命の御子です。とすると、男御子五柱は天照大御神の御子ということになります。
長男の天忍穂耳命は天孫降臨の主役・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと)の父神で、皇祖神です。次男の天穂日命は皆さんもよくご存じ、私たち因幡の祖神であり出雲臣(いずものおみ)や土師連(はじのむらじ)の祖神で、大国主命に国譲りを迫る使者として遣わされましたが大国主命に懐柔され復命しなかったというチョット頼りない神様のイメージですが、出雲国造神賀詞(いずもくにのみやつこかむよごと)では、御子の天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)や経津主神(ふつぬしのかみ)などと国譲りに大活躍をしたと記されています。
天照大御神と須佐之男命が姉弟だったように、ここでもまた皇祖神の天忍穂耳命と出雲の国つ神の天穂日命が兄弟になっているのには何か意図を感じませんか?
さて、この勝負はどちらが勝ったのでしょうか!? 古事記では「ここに速須佐之男命、天照大御神に白(まを)さく『我(あ)が心清く明(あか)き故に、我が生みし子は手弱女(たわやめ)を得つ。これによりて言(まを)さば、自(おのづか)ら我勝ちぬ』と云いて……」(現代語訳:そこで須佐之男命が天照大御神に申すには『私の心が潔白で明るい証拠として、私の生んだ子は優しい女の子でした。この結果から申せば、当然私が誓約に勝ったのです。』と言って……:講談社学術文庫「古事記(上)」 次田 真幸著より)と、須佐之男命は自分が勝ったと主張していますが、実は最初に占いの結果を言ってないんです。もう一度「誓約」のルールを説明すると、占いの結果を先に予想し、予想が当たればその人や物・事柄・現象などが正しいとしたのに、須佐之男命が予想もせずに勝利宣言をしているところ、天照大御神がそれをそのまま受け入れているところが非常に謎で、ここにも何かしらの意図が働いているのかもと思うのは深読みでしょうか!?
とにかく「勝った」とされた須佐之男命はこの後、調子に乗って天上界で大暴れをします。この事件が天照大御神の「天の石屋戸(あめのいわやど)事件」の原因になっていることを案外知らない人が多いみたいですね。
この続きは、次回「天の石屋戸」でお話します。
それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)