その伍【邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)】
2012年4月18日
前回のつづきからです。
― 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと:以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」) と木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ) ―
邇邇芸命(ににぎのみこと)一行は筑紫(つくし:現在の九州)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の霊峰に天降り国見をしました。「朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照(ひで)る国」(この地は朝鮮半島に対峙し笠沙(かささ)の御崎にもまっすぐ通じ、朝日も夕日も明るく照り映えるまことによい土地だ)と仰せられ、この地に壮大な宮殿を建てました。
ある日、邇邇芸命が笠沙の岬にお出ましになったとき、花のように美しい乙女と出逢います。邇邇芸命は一目惚れをしその場でプロポーズしました♡♡♡ この乙女こそ後に妻となる木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)です。
木花之佐久夜毘売は父親の大山津見神(おおやまつみのかみ:山の神)に許しを得ないと返事できないと答え、邇邇芸命は遣いを出します。大山津見神は結婚の申し込みを たいそう喜んで、姉妹で嫁がせようと姉の石長比売(いわながひめ)までも差し出しました。しかし、邇邇芸命は美しい木花之佐久夜毘売だけ妻にし、石長比売(いわながひめ)はお返しになりました。(残念なことに石長比売はかなりの“おブスちゃん”だったようです。ゴメンナサイ!) そこで、大山津見神は「石長比売は岩のように永遠に変わらない命と、木花之佐久夜毘売は花が咲き栄えるような繁栄を願ってのものだったが、石長比売を返した今、天つ神の御子の命は桜が散るように、はかないものになりました」と申したのです!(T―T)
天つ神の邇邇芸命が容姿で妻を決めるあたりが、とても人間くさくて、また、このエピソードから人の寿命が決まったのかと思うと、天降った天孫・邇邇芸命はもうすでに人としての歴史を歩んでいたのかもしれないなと思うのです。
そして、この話を知ったとき、この歌を思い出しました。
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」大好きな歌の一つです。歌の内容は寿命の話とは全然違うんですが、なぜか思い出しました。
邇邇芸命と木花之佐久夜毘売のエピソードは、儚い命だからこそ、人は自分の人生を精一杯、咲き誇る桜のように強く美しく生きなければいけないと教えているのかもしれませんね(*U_U*) (おっちー)
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みなさんのお越しをお待ちしております!(に&か)
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その四【天孫降臨(てんそんこうりん)】
2012年4月17日
先週の月・火曜日と暖かい日が続き、お城のしだれ桜❀も町内のソメイヨシノ❀も一夜にして満開に咲きそろいました❀❀❀❀❀❀❀❀❀❀
もう少しゆっくり咲いてくれればいいのに。。。。もう散り始めています。お城のしだれ桜❀はまだ今週いっぱいくらいは大丈夫そうですよ~。
今回は、前回の八上比売さんに続いて❀桜❀つながりで「木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)」のお話をします。八上比売さんと同じくらい私が大好きな女神さまです。
木花之佐久夜毘売は天孫降臨(てんそんこうりん)の主人公・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきし くににきし あまつひこひこほの ににぎのみこと:以下「邇邇芸命(ににぎのみこと)」)と舌を噛みそうな長~~いお名前の天孫=いわゆる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫御子様の奥さんです。
お二人の出逢いの話をする前に、天孫降臨(てんそんこうりん)の話を簡単にしておきますね。前回の「大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上比売(やかみひめ)」の国造りの後に続くお話しなんですよ。
大国主命が国造りを終え、豊かな国となった豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに=葦原中国ともいう)を天上界から見ていた天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、元は天降(あまくだ)った天つ神が造った国だから天上界に返してもらい、天つ神が統治するのがよいと使者を出した。
しかし、最初の使者も二番目も復命(ふくめい)せず、とうとう最後は武力をもって、第三の使者、建御雷之男神(たけみかづちのおかみ)がやってきた。伊耶佐(いざさ)の浜(今の稲佐の浜)に降り立った建御雷之男神は十束剣(とつかのつるぎ)を浪に刺し、その上に坐(ざ)して大国主命に葦原中国(あしはらなかつくに)を天上界に返すように迫りました。
大国主命は返答を息子の事代主命(ことしろぬしのみこと)に委ね、事代主命は了承したが、もう一人の息子・建御名方命(たけみなかたのみこと)は反対しました。建御雷之男神と力競べの勝負をして負けた建御名方命(たけみなかたのみこと)は国譲りを了承し、二人の息子の返答を聞いた大国主命は神殿(出雲大社[いずもおおやしろ])を造ってくれることを条件に国譲りを承諾しました。
天照大御神は最初は息子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ あめのおしほみみのみこと)を遣わそうとしましたが、天忍穂耳命は生まれたばかりの息子が統治者としてふさわしいと天照大御神に提案した。こんな訳で孫の、つまり天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が天降ることになりました。
邇邇芸命には天児屋命(あめのこやねのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、祝詞[のりと]を唱え鏡を差し出した神。中臣氏[なかとみうじ:古代に神事・祭祀をつかさどった神]の祖神)、布刃玉命(ふとだまのみこと:高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の子。天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、天児屋命(おめのこやねのみこと)とその出現を祈請した。忌部[いんべし:祭祀をつかさどった一族]の祖先神)、天宇受賣命(あめのうずめのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、八百万(やほよろず)の神々の前で踊り天照大御神を誘い出した女神。天孫降臨の際、天の八衢(やちまた)にいた猿田彦神(さるたひこのかみ)に道案内をさせた。猿女[さるめ:古代の祭りで巫女の役をした]の祖神)、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと:天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、鏡を作った神。鏡作部[朝廷や豪族に属し鏡を製作した人々]の祖神)、玉祖命(たまのおやのみこと:玉造連[たまつくりのむらじ]勾玉[まがたま]や管玉[くだたま]をつくる人々の祖神。天照大御神が天の岩屋戸に隠れた時、三種の神器[さんしゅじんぎ]※1 の1つ、八尺瓊勾玉[やさかにのまがたま]を作った神様と言われています)の五伴緒(いつともお)を従えて天降りをします。
※1…三種(さんしゅ)の神器(じんぎ) …天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授けられたという草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺(やさかに)の勾玉(まがたま)をさす。
この後、地上に降り立った邇邇芸命は木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)と出逢います。 ― つづく ― (おっちー)
―春の大茶会 パフォーマンス参加者募集―
2012年4月4日
河原城 「春の大茶会」でステージパフォーマンスをしてくださる方を募集します!
歌・ダンス・漫才・バンド演奏など・・・。何でもOK!!
年齢・ジャンル問いません!お子様から学生だけではなく、地域以外の方も大歓迎です。
ちょっとしたエンターテイナー気分を味わいませんか?
日頃の成果を舞台で発表してください。
☆~☆~☆~☆~☆ 「パフォーマンス参加者」募集 ☆ ~☆~☆~☆~☆
日 時 : 5月5日(土) 時 間 : 午後12時20分~ 場 所 : 河原城イベント広場 特設ステージ
参加条件は不問です。 パフォーマンスの時間は、10分~20分程度でお願いします。 *申込みの受付は先着順とさせていただきます。 *物品等の準備は各自お願い致します。 *参加費無料です。
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参加のお申し込みや詳細については、河原城へお願いします。 河原城:0858-85-0046
ご応募お待ちしています!!
その参【稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―】
2012年4月1日
さあ今日から4月です。長かった今年の冬も終わり、春の訪れを感じる季節なんですが、桜の花はまだまだのようです。お城山展望台河原城が聳える、ここ鳥取市河原町は神話「八上姫(やかみひめ)」の里として知られています。全国的にはあまりメジャーではないこの「八上姫」さんは、古事記の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)と結婚するヒロインとして登場するお姫様です。そして「八上姫」さんを御祭神としてお祀りする「売沼神社(めぬまじんじゃ)」の御神紋が「桜」なんですよ。
―ふることふみ(古事記)の倭ごころ― 最初のお話はやっぱり「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)―大国主命と八上比売(やかみひめ)―」で始めたいと思います。
みなさんがよくご存知の「因幡の白兎」は大穴牟遅命(おおなむちのみこと)[大国主命の別名]が出雲の八十神(やそがみ)たちのお供で八上比売(やかみひめ)に求婚に行く途中の出来事です。古事記では「稲羽(いなば)の素兎(すうさぎ)」と表記されています。「素兎(すうさぎ)」を「しろうさぎ」と読んだかどうかは研究者の間でも説の分かれるところですが、当時の日本の兎は野うさぎなどのように主に茶毛の在来種で、白い兎は明治以降に輸入された外来種のうさぎです。「素(す)」というのは「白(しろ)」ではなく、童謡にもあるように ♪皮をはがれて赤裸(あかはだか)~♪ と、素っ裸の「素(す)」だったかもしれませんね。
洪水で淤岐の島に流された兎は故郷の稲羽に戻りたくて、和邇(ワニ=サメ)を騙して数を数えながら背中をピョンピョン渡り、あと少しというところで嘘がばれてしまいます。怒ったワニに皮を剥がされて苦しんでいると、そこに通りかかった意地悪な八十神(やそがみ)たちは嘘の治療法を教えます。ますます傷がひどくなり痛くて痛くて泣いていると、遅れて来た大穴牟遅命に助けられ元どおりの身体になりました。たいそう喜んだ兎は、大穴牟遅命と八上比売の結婚を予言してどこかえ消えてしまいました。このことから白兎(はくと)神社や八上比売を祀る売沼神社は、縁結び神社として現在、若い世代を中心に注目を集めています。
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白兎神社 |
売沼神社 |
八上比売と結ばれた大穴牟遅命は、しばらくの間、稲羽の八上郡(やかみごおり)で幸福な日々を過ごします。河原町内とその周辺には二人が仲睦まじく過ごしたゆかりの地が伝わります。
・円通寺(えんつうじ)(縁通路(えんつうじ))…二人の心が通じ合い、縁が通じたことが由来。 ・長尾鼻(ながおばな)、待合谷(まちあいだに)、飯盛山(いいもりやま)…二人のデートスポット。 ・倭文(しとり)神社…大穴牟遅命が恋文を書いた場所。
しかし、八十神たちは二人の仲を妬み、大穴牟遅命を恨んで迫害を強めます。二人が逃げ込んだと伝わる高尾山、河原町本鹿(ほんが)のその場所には、後に多加牟久(たかむく)神社が建立され、二人が祀られています。そして逃げる途中、駆け上がった坂道には「懸上(かけあが)り」の地名が残ります。(河原町中井)
八上比売より一足先に出雲へ向かった大穴牟遅命は、なおも八十神たちに狙われ殺されてしまいます。母神(刺国若比売(さしくにわかひめ))は天上界に助けを求め、蚶貝比姫(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)により生き返りますが、またも殺害されます。今度も母神の助けで復活しますが、このままでは本当に殺されてしまうと、母神は根の堅州国(ねかたすくに)[黄泉(よみ)の国]へ逃がします。
大穴牟遅命が逃げ込んだ根の堅州国は、あの建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が支配していました。その娘、須勢理毘売(すせりびめ)と出会った大穴牟遅命はまたも恋仲になってしまったのです。(八上比売がいるのになんて浮気者なんでしょう!)二人を認めない父は、大穴牟遅命に試練を与えます。須勢理毘売の助けで、全ての試練をクリアした大穴牟遅命は、建速須佐之男命の信頼を得ます。そしてある日、油断して眠り込んだ建速須佐之男命の隙を突いて、須勢理毘売と共に宝器の生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(あまぬりごと)をたずさえて、根の堅州国を脱出するのです。駆け落ちってやつですね。(ていうか、八上比売がいるのに!!) そして大穴牟遅命から大国主命となり、生太刀・生弓矢を持って八十神たちを退治し出雲の国造りが始まるのです。
大国主命がそんな酷い目にあっていることなど何も知らない八上比売は(やっと出てきた♪)、二人の間に授かった御子(みこ)と三人で早く暮らせる日がくることを願い、大国主命の便りを待っていました。八十神たちを退治し、国造りを始めた大国主命は、八上比売たちを出雲へ呼びよせますが、嫉妬深い須勢理毘売を怖れて、八上比売は生まれた御子(木俣神(きまたのかみ)=御井神(みいのかみ))を木の股に挟んで因幡に帰ってしまいます。古事記にはこう記述されていますが、実は、出雲市の斐川町(ひかわちょう)や米子市、鳥取市河原町など、それぞれの地元には古事記とは違う神話が伝わります。
八上比売とその御子は、出雲の地で大国主命の国造りを手伝い、その地で幸せに暮らした、または、しばらくして因幡に帰り、因幡の地でも八上比売は霊力をもって、一族で国造りをし八上郡(やかみごおり)を統治した、などなどです。
もともと古事記は、大和朝廷(やまとちょうてい)の正当性と皇室の歴史を後世に伝えるために作られたものなので、都合の悪い部分や、書かなくてもいい部分、書く必要のない部分についてはカットされています。八上比売と大国主命のくだりの詳細がカットされているのは、都合が悪かったのか、必要のない部分だったのかは解明されていませんが、それぞれの地域に残る多くの神話伝説や、古事記の中に見られる、自分から八十神たちの求婚を断り大穴牟遅命を選んだり、はるばる出雲の地まで旅したりと、当時では珍しい自分の意思を持ちはっきりと主張できる自立した女性としての八上比売像が浮かんできます。須勢理毘売を怖れて泣く泣く因幡に帰った悲恋(ひれん)のか弱いお姫様とは考えにくく、あえてそのような表現で記述されていると感じます。
まあ これも地元のひいき目かもしれませんが…
それはさておき、美しく賢くしかも強い女性として伝説が残る八上比売さんのDNAを受け継ぐ(?)河原町民は、これからも河原町の自慢のお姫様として子供たちに語り継ぎ、故郷を愛する心も一緒に受け継いでほしいなぁ~と思う “おっちー”なのでした。 (おっちー)