河原城風土資産研究会
〒680-1242
鳥取県鳥取市
河原町谷一木1011
TEL: 0858-85-0046
FAX: 0858-85-1946
と き:平成24年7月29日(日)
ところ:河原町中央公民館 大講堂 ※入場無料
2月に開催されたシンポジウムの第2弾として《古事記ワールドその2 八上姫とともに》が開催されます。
琉球大学名誉教授・小島瓔禮(よしゆき)氏を講師にお迎えし、かつて因幡の国に存在したとされる行政区画「高草郡(たかくさこおり)」「水依評(みずよりのこおり)」と八上姫との関係を紐解き、古代因幡の位置づけなどをお話し頂きます。
また地域からの報告として、八頭町郷土歴史研究会代表・新誠氏と河原城風土資産研究会・落合久美が八上郡(やかみこおり)に関するお話しをいたします。
お問い合わせ先:鳥取大学社会貢献課(tel 0857-31-6777)
みなさん こんにちはー。神話の神々vol.2はいよいよ「国生みと神生み」が始まります。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は天の御柱の左右から ぐるっと一廻りして出会ったところで伊邪那美命が「あなにやし、えをとこを(ああ、なんて素敵な男性でしょう)」と伊邪那岐命に声をかけます。その後、伊邪那岐命が「あなにやし、えをとめを(ああ、なんて素敵な乙女だろう)」と言い、まぐはひました。しかし、生まれた子は「水蛭子(ひるこ)」だったので葦の船に乗せて流しました。次の子も「淡島(あわしま)」で子どもとして認めなかった。伊邪那岐命と伊邪那美命は高天原(たかまのはら・たがまがはら)の天つ神に相談したところ、“ふとまに(鹿の肩骨を焼く占い)“をして「女から先に声をかけたので不具の子ができた。今度は男か先に声をかけて国生みをやり直しなさい。」と、おっしゃいました。
この「女から先に声をかけたので不具の子ができた。」というのは夫唱婦随・男尊女卑の中国の儒教の影響だと一般的には云われていますが、もともと兄妹である伊邪那岐命と伊邪那美命が“まぐはう=近親相姦のタブー“を伝えたものという説もあります。また、単に男尊女卑の影響だけではなく男女には性別による特性や役割などがあり、人としては平等だが同質ではなく、お互いの違いを認め合わなくては何事も上手くいかないということを教えているのかもしれません。やはり昔も今もコミュニケーションが社会の基盤だったということですよね。(o^0^o)
そして、ここで一つ“水蛭子(ひるこ)“については避けて通れないのですが、この“水蛭子“も様々な説があります。例えば、日本書紀では“蛭児“と書き三年たっても足の立たない子としています。 ~「そもそもヒルコという呼称・字義からして解釈が分かれる。記紀では“蛭”表記が用いられ、これに対して文字はあくまでも仮借表記であり別の字があてられていた説もあり、むしろこちらのほうで解釈する人が多い。例えば江戸時代には滝沢馬琴によってヒルコ=“日子”であると説かれ、さらにヒルコは北極星だと言っている。 馬琴の考えは形を変え継承され、ヒルコは昼子、日子などと考え、これは比古(彦)の事だとして昼女(ひるめ)、日女(媛)に対応するものとする説。さらに、ヒルコを人格ととらえ太陽神ヒルメの兄妹であるがヒルメと比べると劣った存在であるとする説。などなどのヒルコ論の中でよく取り上げられるのがヒルコを日子としてヒルメと対照的にとらえる説で、この説に立つと、ヒルコ(男)は葦の船に乗せて棄てられてしまうわけで、太陽神としてふさわしいのはヒルメ(女)ということになります。これは、太陽神(皇祖神)タカミムスイノカミからアマテラスオオミカミ、つまり、男性神から女性神に転換されるという日本神話の構造からみて妥当な解釈だといえる。しかし一方では、記紀の中では太陽に関する字句として“日”、“日孁(ひるめ)”がきちんと用いられているのに対し、なぜヒルコにはこうした表記が使用されていないのか疑問もおきてくる。ヒルコに関して“蛭”の字で表記が統一されていることを重視するなら、ヒルコの実体は蛭のような存在となり“日子”の文字からの解釈は妥当ではないといえよう。つまり、ヒルコの解釈は記紀の表記を生かして考えるのが穏当なように思われる。背景として、古代社会の疾病、それらに対応する医療技術の未発達などが考えられる。また、出産、とくに初産の難しさも考えるべきかもしれない。また、ヒルコを船で流すという点についても、すでに指摘されているように障害を持った人や流産した児を放棄するといった風習や習慣があった可能性も否定できないであろう。」(「古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎」瀧音能之(たきおと よしゆき)氏著から抜粋)~
また、流されたヒルコ神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っていて、日本沿岸の地域では、漂着物をエビス神として信仰するところが多く、ヒルコがエビス(恵比寿・戎)と習合・同一視されるようになりました。ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、西宮神社(兵庫県西宮市)などが有名です。ヒルコがエビス神である信仰は、古今集注解や芸能などを通じ、広く浸透しています。蛭子と書いて「エビス」と読むほど馴染み深いのですが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代神(ことしろぬし:大国主命の息子)とするところも多いのです。生まれてすぐに流されてしまうヒルコへの哀れさの感情が、再生の神話を作りだしたとも考えられますね。
このように代表的な解釈でさえ何通りもあり、マニアックなものをいれると限りなく出てきます。謎めいているのはヒルコの解釈だけにとどまらず、古事記そのものの解釈もまだ統一されておらず、これからちゃんと解明されるのはあと何十年、いや何百年かかるかもしれません。学者さんたちの説も参考にしながら、でもみなさん自身の感性で受け止めればいいのではないかなぁ~と思うのです。
こうして、“ふとまに”のお告げ通りにして伊邪那岐命と伊邪那美命はこのあと淡路之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま=淡路島)から順調に国生みをしてゆきます。後に八番目の大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま=本州)を産んだので古代日本列島を大八島(おおやしま)と呼びます。これは「穀物が豊かに実る国」という意味です。また、“秋津”とはトンボの古名でトンボが交尾をしながら飛んでいる姿に日本列島が似ているからこう呼ばれたとも言われています。(ということは、この時代にはすでに日本列島の形が分かっていたということになりますが……どうやって!? と、またまた謎が増えましたが、そのお話はまたの機会に…)
では、ナゼ淡路島から!? 私も不思議に思いました。これは淡路島周辺の海人族(あまぞく)が伊邪那岐命と伊邪那美命を信仰していることが原因で、もともとは淡路島周辺の島生みの話が宮廷神話として語られたとき大規模な国生みに発展したものと思われます。
産む順番も①淡路島、②四国(伊予=愛比売[えひめ]、讃岐=飯依比古[いいよりひこ]、阿波=大宜都比売[おおげつひめ]、土佐=建依別[たけよりわけ])、 ③隠岐の島=天之忍許呂別[あめのおしころわけ]、 ④筑紫=九州(豊=豊日別[とよひわけ]、肥=建日向日豊久士比泥別[たけひむかとよくじひねわけ]、熊曾[くまそ]=建日別[たけひわけ])、⑤壱岐の島=天比登都柱[あめひとつはしら]、 ⑥対馬=天之狭手依比売[あめのさでよりひめ]、⑦佐渡の島⑧大倭豊秋津島=天御虚空倭豊秋津根別[あまつみそらとよあきづねわけ]と西日本が中心で、畿内から瀬戸内海をへて大陸に向かう航路を意識しているように思います。
大八島を産んだあと小豆島、大島、姫島、五島列島、双子島など瀬戸内海や九州の小さな島々を産んで国生みを終えた二神は、次に神生みにとりかかりました。
つづく! (*^▽^*)ノシシ(おっちー)
みなさん こんにちはー。ずいぶんお休みしちゃいましたけど、みなさん お元気でしたか? この前の「…… 倭(やまと)ごころ・その七」の続きです。
前回「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時……」から始まって三柱(みはしら)がお成りになった2行目のところまででした。(う~ん、このペースだと下つ巻まで話すのに何年かかるやら……(^_^;))
この最初に現れた三柱の神は造化三神(ぞうかさんしん)と呼ばれる創造の神様です。そして、このあと「国稚(くにわか)く浮ける脂(あぶら)の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あ)がる物によりて成りし神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)、次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。この二柱の神もみな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまいき。上の件(くだり)の五柱(いつはしら)は別天つ神(ことあまつかみ)。」と続きます。 出来たばかりの天と地はまだはっきりとした形にはなっておらず、国土はまだ固まらず、水に浮いている脂のようにドロドロしてクラゲのように漂っていました。そんな泥の台地から生まれたのが、私が大好きな古事記の神様ベスト5の中の一柱“宇摩志阿斯訶備比古遅神“。
泥の中から若い葦の芽が萌え出て、その勢いある先端の部分からお生まれになった神様で、まさに全ての生命の源のような希望の塊のような神々(こうごう)しい神様です。葦の新芽に象徴される生命力や成長力の神格化で、日に20センチ近く伸びる葦は古代人にとって憧れをも抱くほどの強い生命力の象徴で、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」「豊葦原水穂国(とよあしはらの みずほのくに)」などのように「葦の茂る国」=「稲穂が成長する豊かな国」という意味で「葦原」は古代日本そのものだったのです。この神様の名を口にすると、なんだが心が癒されて元気が出てきて清々しい気持ちになります。古代人がどんな魔法をかけたのか分かりませんが、倭ごころを感じるのは やはり宇摩志阿斯訶備比古遅神が細胞レベルで日本人の中に受け継がれているせいなんでしょうね~。それに私たちは「お米の国の人」ですしね(o^0^o)
そのあと、天之常立神がお生まれになります。やはり宇摩志阿斯訶備比古遅神とセットで考えると、「葦のように強い生命力の日本の国と民衆が、常に天に向かって(上へ上へと=世界の大国と肩を並べるくらい上へ)伸びてほしい!!」という願いがこもった希望の神様たちなんでしょうね。 先にお生まれになった造化三神とこの二柱の神を別天つ神といって、目には見えませんが特別に尊い神様として私たちの周りに、心の中に、いつも一緒にいて見守ってくださる神様です。
このあと、神世七代(かみよななよ)という高天原(たかまのはら・たがまがはら)を形成する二柱の独神と五柱のカップルの神様たちがお生まれになり、その最後に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)がお生まれになり、いよいよ国生みが始まるのです。宇宙が始まって、この伊邪那岐命・伊邪那美命のカップルが出現するまでにナント約150億年が経過した計算になるそうです。( ̄∀ ̄;)
天つ神一同から依頼を受けた伊邪那岐命・伊邪那美命は神聖な天の沼矛(あめのぬぼこ)を授かって天上界から地上に降りる天の浮橋(うきはし)の途中から地上の世界はどうなっているか突き刺してみました。そして、かき回して引き上げてみると沼矛の先から潮が滴り落ち、それが積もり固まって淤能碁呂島(おのごろしま)という島ができました。二柱はその島に宮殿を建て神聖な御柱を建てました。
そして有名なシーン「ここにその妹(いも=妻)伊邪那美命に問いて『汝(な)が身は如何(いか)にか成れる』と日(の)りたまへば、『吾(あ)が身は成り成りて、成りあわざる処一処(ところ ひとところ)あり』と答へたまひき。ここに伊邪那岐命 詔(の)りたまはく、『我(あ)が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。かれ、この吾が身の余れる処をもちて、汝が身の成りあわざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむとおもふ。生むこといかに』とのりたまえば、伊邪那美命、『然善(しかよ)けむ』と答へたまひき。」 現代語訳をすると「伊邪那岐命が妻の伊邪那美命に尋ねて『おまえの身体はどのように出来ているか?』と仰せになると『私の身体はだんだん成り整いましたが、成りあわず へこんだ処があります。』とお答になった。そこで伊邪那岐命が『私の身体はだんだん成り整ったが、成り余って出っ張った処がある。私の出っ張った処を おまえの へこんだ処に差し入れて国を生もうと思うがどうだろう?』と仰せになると伊邪那美命は『それは良い考えですね』とお答になった。」
「ここに伊邪那岐命 詔りたまはく、『然らば吾と汝とこの天の御柱行き廻り逢ひて、みとのまぐはひせむ』とのりたまひき。」こうして 伊邪那岐命・伊邪那美命は夫婦の契りを交わし国生みを始めます。 続きは次回で! (*^▽^*)ノシシ(おっちー)
河原城風土資産研究会
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