―陶芸教室「テラコッタで古代の人形を作ろう!!―
2012年9月11日
日中の暑さもやわらぎ、すごしやすい気候になってきました!
10月の河原城では、陶芸教室を開催します♪
従来の陶芸作品の枠を飛び越えて自由な発想で素焼きの人形を作ります。
講師は、現在河原城で作品を展示されている影井典子先生。
テラコッタを用いた陶芸の素晴らしさや楽しさを、皆さんと一緒に体験しながら教えてくださいます!
この機会に、陶芸の世界に触れてみてはいかがでしょうか。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆参 加 者 募 集★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
と き:10月21日(日) 13:30~15:30
場 所:河原城 2 階イベントホール
定 員:10名(先着順・要予約)
参加費:1000円
※応募締め切り10月19日(金)までです。
定員になり次第締め切らせていただきます。
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ー 「第34回 出逢い・ふれあい 河原町 あゆ祭り」開催しました!!ー
2012年8月8日
今月4日(土)に第34回出逢い・ふれあい 河原町 あゆ祭り 元気に開催いたしましたー!! 今年のテーマは「きらめいて…鮎(あい=愛)」。 今年もたくさんの愛にかこまれて あゆ祭り盛大に開催されました(*^▽^*)
8月に入ってから一段と厳しい暑さが続き、あゆ祭り当日も37℃を超えるなか、見る人も参加する人も運営する人も みんな汗まみれで頑張りました! 最近では鳥取県民も猛暑日や熱中症の対策にも慣れたもので、みんな元気に楽しい夏の思い出づくりが出来ました。お客様をはじめ、運営にご協力いただきました町内外のみなさま、募金協力をしていただいた町内外のみなさま本当にありがとうございました。あゆ祭り実行委員を代表しまして御礼申し上げます。
さあ、また来年の あゆ祭り目指してガンバルゾー!!(気が早い…)
13:00 実行委員長の開会宣言でいよいよ始まりました今年の「あゆ祭り」。今年の子供広場は鳥取レクリエーション協会のみなさんに参加していただきました。全員参加のじゃんけんゲームからスタートして、ちびっ子たちが大好きなシューティングゲームに工作コーナーと、お父さんも童心にかえって夢中でしたよ。
子供広場の次は、毎年恒例の「激闘!!川下りレース」です。今年は少しルール変更ありでしたが、コース上にはソーメンやスイカの早食い完食コーナーなど数か所の関門を突破してのタイムレースです。毎回ドラマを生んでいる川下りレースですが、今年もこの灼熱地獄の中いました、いました!着ぐるみチーム。ガチャぴんとカッパの着ぐるみを着込んだ第一走者、しかも女子!!ガンバレー!!! 周りの期待通りダントツビリで激走。でも、ナンカほのぼのした空気で癒されました。
池の方では毎年大好評の“鮎のつかみどり”が始まって約1,000人以上のお客さんがピチピチの鮎と格闘しました。
夕方からは河原町民が楽しみにしているステージイベントです。
この日のために何カ月も 前から練習した あゆっこ園の園児たちの踊りと、散岐小学校・西郷小学校・河原第一小学校4年生の太鼓演奏でスタートです。
続いてブレイクダンスや郷土芸能の披露4組。
ステージはジブリ映画「猫の恩返し」のテーマ曲などのヒットでご存知の「つじ あやの」さんのライブになりました。 ちびっ子からおじいちゃん・おばあちゃんまで知ってる歌やヒット曲「風になる」を爽やかでどことなく懐かしい歌声で会場を包みました。 トークコーナーでは実行委員と地元にちなんだ古事記編纂1300年クイズで盛り上がり、つじさんはナント全問正解でした。
そして、イベント最後を飾るのは大花火大会です。 実行委員長がみなさんにあゆ祭りが開催できたことのお礼の言葉と、実行委員一人づつが一言メッセージのリレーをしてから、いよいよ花火のカウントダウンに!!
みなさんの健康と幸せを祈って、5,4,3,2,1 きらめいて愛!!! 今年も見事な大輪が河原の夜空に咲きました。
2,500発の花火の全部をアップしたかったんですが…… 花火の写真って難しい!!(汗)
来年もまた元気に暑い夏をみんなで迎えましょーね!!それまで みなさんお元気で―!!!(*≧∀≦*)ノシシ (おっちー)
平成24年度 鳥取大学地域貢献支援事業「こころ豊かに」 古事記ワールドその2 八上姫とともに 開催しました!
先月29日(日)に河原町中央公民館で「平成24年度 鳥取大学地域貢献支援事業「こころ豊かに」 古事記ワールドその2 八上姫(やかみひめ)とともに」が開催されました。(主催・平成24年度 鳥取大学地域貢献支援事業主 門田眞知子、共催・風土資産研究会)
古事記神話「稲羽の素菟(いなばのそうさぎ)」のヒロイン・八上比売のふるさと河原町で、古事記のシンポジウムが開催されることはとても有意義で、地元だけではなく町外からも たくさんの古
代史ファンで会場が埋まりました。
琉球大学名誉教授・小島瓔禮(よしゆき)氏を講師にお迎えして、かつて因幡の国に存在したとされる行政区画「水依評(みずよりのこおり)」、「高草郡(たかくさこおり)」と八上比売との関係を紐解き、古代因幡の位置づけなどをお話し頂きました。 質疑応答では「因幡のシロウサギ」のルーツや、ウサギの色について質問があり、そもそも「素」を「しろ」と読んでいいのか?そうならば「素」の対の言葉は「玄(くろ)」で、中国には「玄兎」の地名があり、そこにも似た話が伝わっているなどの興味深いお話しがありました。
また地域からの報告として、八頭町郷土歴史研究会代表・新 誠氏は古代八上郡(やかみこおり)の豪族と古墳のレポートを、河原町からは風土資産研究会・落合久美が八上比売の生誕地について新説のレポートを発表しました。
まだまだ謎の多い古代因幡の歴史。このようなシンポジウムを機会に古事記に隠された魅力を発見したり、故郷の歴史・文化に興味を持っていただければ、とても嬉しく思います。
河原城では古事記編纂1300年記念事業の締めくくりとして12月16日(日)に風土資産研究会主催の古事記シンポジウムを開催いたします。 講師にお迎えするのは古代史研究の第一人者・駒澤大学教授で文学博士の瀧音能之(たきおと よしゆき)氏と、荒神谷博物館館長で古代出雲史研究で著名な藤岡大拙(ふじおか だいせつ)氏、そのほか地域の研究者の皆さんからの報告会などを予定していますので、みなさん是非お越しください!!
詳細についてはホームページ上でお知らせいたします。
それでは今日はこのへんで、またお会いしましょう~ノシシ (おっちー)
その拾四【神話の神々vol.3 伊邪那岐命と伊邪那美命 その1】
2012年8月5日
みなさん こんにちはー。 連日の猛暑日ですが お元気ですか? 鳥取地方は今日も午前中から35度を越えて 夏本番ってカンジです!
さあ神話の神々vol.3です。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は「国生み」を終え今度はこの国に住む「神生み」にとりかかりました。まず住居に関する神々、海・川に関する神々、森や山・谷・野の神々、穀物の神、そして、28番目に火の神 “火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)”という火の神様を産んだ時、伊邪那美命は大火傷をしてそれがもとで死んでしまいます。
その死の直前まで伊邪那美命は「神生み」を続けます。病の床で嘔吐したその中から、鉱山の神 “金山毘古神(やまびこのかみ)”、“金山毘売神(やまびめのかみ)”を、大便の中からは粘土の神 “波邇夜須毘古神 (はにやすびこのかみ)”、“波邇夜須毘売神 (はにやすびめのかみ)”、尿からは灌漑の神 “弥都波能売神(みづはのめのかみ”、生産の神 “和久産巣日神(わくむすひのかみ)”生まれました。
そしてとうとう伊邪那美命は黄泉の国(死者の国)へ旅立ちました。伊邪那美命の亡骸は出雲の国と伯耆の国の境にある比婆の山(現在の島根県と広島県の境の比婆連峰の比婆山)に葬られました。
伊邪那岐命は伊邪那美命が死んだ怒りと悲しみのショックから火之迦具土神の首をはねて殺してしまいます。その時に、飛び散った血の中からもたくさんの神様が生まれています。石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)剣の神、石筒之男神(いわつつのをのかみ)は岩石の神、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)は雷火の神格化、 建御雷之男神たけみかづちのをのかみ:別名は建布都神[たけふつのかみ]、豊布都神[とよふつの かみ])は雷神・剣の神、闇淤加 美神(くらおかみのかみ) 闇御津羽神(くらみつはのかみ)は谷間の龍神・水神、などが主な神々です。
伊邪那岐命は伊邪那美命が亡くなってから毎日々々泣き暮らしていましたが、ついに伊邪那美命を迎えに黄泉の国へ行くことにしました。伊邪那美命はとても喜び、黄泉の国の神に現世へ帰る許しをもらいに行っている間は絶対に扉の中を見ないでほしいと約束します。でもね、「絶対に見ないで!」と約束すると絶対に見てしまうのが、昔話の鉄則というか、世の常というか……結局、伊邪那岐命は扉の中に入って行ってしまいます。伊邪那岐命がそこで見たものとは…… なんと恐ろしいことでしょう、伊邪那美命の体は腐ってウジ虫がわき、骨が露出し、おまけに醜くて恐ろしい雷神たちが8柱も伊邪那美命の身体から生まれていました。愛しい伊邪那美命の変わり果てた姿に伊邪那岐命は恐ろしさのあまり逃げ出してしまいました。それを見た伊邪那美命は「見るなと言ったのに、よくも私に恥をかかせたな!」と黄泉醜女(よもつしこめ)や雷人たちを追手に、最後には自らが伊邪那岐命を追いかけました。伊邪那岐命は髪の鬘(かずら)や爪櫛(つまくし)、桃の実などを投げて撃退します。
伊邪那岐命は命からがら黄泉比良坂(よもつひらさか:死者の国と生きている者の国との境目)というところまで来て、千引の岩(ちびきのいわ)という大岩でその道を塞ぎました。そして、この大岩をはさんで大声で怒鳴り合いました。「愛しいわが夫(せ)の君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を1日1,000人殺しましょう。」「愛しい妻よ、あなたがそうするなら、私は1日1,500人産みましょう。」こんな訳で日本の人口は1日に1,500人生まれて1,000人死ぬことが決まったんですが、少子化が叫ばれる現在の日本ではこのルールは守られているんでしょうか!?そして、これが日本で初めての“夫婦げんか”だったのです。けんかの原因は“恥をかかせた”という、いかにも日本人らしい理由だと思いませんか?私はこの“面子がどうの”という考え方は武士の時代(平安末期から鎌倉時代)くらいからかなと漠然と思っていましたが、古代にはもう“恥の文化”が倭ごころとして ちゃんとあったんだなぁと驚きました。
また、黄泉醜女や黄泉軍(よもついくさ)が追いかけて来た時、桃の実を投げて撃退する場面は、桃の実が呪術的信仰で邪気を払うと信じられていた中国の「神仙思想(中国神話では、全ての天女の頂点に立つ女神・西王母(さいおうぼ)は、西方の崑崙山(こんろんさん)に住み「蟠桃園(ばんとうえん)」という桃園を所有していて、長寿や不老不死の効力があるという三千年に一度実をつける“王母桃(おうぼとう)”を栽培していた。そして三千年に一度、神々や仙人などを招待して宴を開き、その桃を振る舞ったと伝えられている。)」や「道教思想」の影響を受けてのことだろうと思います。
たしか一昨年、昨年と卑弥呼(ひみこ)の宮殿や陵墓ではないかと言われている、纒向(まきむく)遺跡や箸墓(はしはか)古墳で2,000個を超える大量の桃の種が発掘され、にわかに「邪馬台国発見か!?」と騒がれたことがありましたが、あれは祭祀に使ったり、特に高貴な人物の殯(もがり:古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置して別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いながらも遺体の腐敗や白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。また、その棺を安置する場所を指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(もがりのみや/万葉集では[あらきのみや])という。)の儀式に魔除けとして大量に使用するそうです。
とにかくこれで、伊邪那岐命と伊邪那美命は永遠の決別をするのです。
黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命は汚れた体(死または、死者の国は穢れているという古代人の観念)を川の水で洗い流しました。その時に、またたくさんの神様たちが生まれます。
次回は伊邪那岐命の禊からです。 それではまた お会いしましょう~(*^▽^*)ノシシ (おっちー)